アダルトチルドレンからの回復 ~私が選んだ“心理的決別”とは

こんにちは! 『変容のフェーズ診断Ⓡ』家のメイです。

アダルトチルドレンからの回復のプロセスは、人によって本当にさまざまです。
でも多くの場合に共通しているのは、まず「自分はアダルトチルドレンなんだ」と自認すること、そして安心できる環境で思いきり“毒出し”をすることだと思います。ここnoteでもいいし、誰かに聞いてもらってもいい。

私にも長らくそういう時期がありました。苦しさを涙と共に言葉にして吐き出すことで、初めて前に進める感覚を得られたのです。

アダルトチルドレンの方々は、幼い頃から、あらゆる形で親の面倒を見る役を負わされ、思春期以降に「親と自分は別々の存在だ」という認識を持ち、健全な境界線を持つ機会を奪われてしまったことが、生きづらさの大きな原因だと私は考えています。(もちろんトラウマ的な出来事など、複合的な要因があるのは間違いありませんが)

親との関係 ・・・感謝、 仲直りだけがゴールじゃない

回復談を読むと、「親と今はいい関係です」「今は感謝しています」というストーリーがよく出てきませんか?
それはとても素敵なことだと思いますし、そういう形で癒される人も多いでしょう。もちろん、私はそれを否定するつもりは全くありません。

ただ、私の場合は少し違ったのです。結局、私は親と心理的に決別する道を選ぶことになりました。その決断に至る過程で、ひとつの大きな出来事があったのです。

親との心理的決別…なんだか厳しくて、寂しくて、もの悲しい印象でしょうか?

でも、こういう「卒業」の仕方もある、という一例として記事にしておくことで、「感謝や和解こそが回復の道だ」と苦しんでいる、似たような状況の方の肩の荷が降ろせればいいな、と思っています

私が選んだ「対決」と決別

私は期せずして、スーザン・フォワードの『毒になる親』で言うところの「対決」をすることになりました。

あることをきっかけに、子供を道連れに生きるか死ぬか、追い詰められて混乱した精神状態の中で、「今度はあの人(母)が私の面倒を見る番だ」という期待が生まれ、初めて「甘えてみよう」という気持ちになりました。ここでいう「甘え」とは子供のような可愛らしいものではなくて、「当然そうしてくれる、そうしなければならない」という怒りを伴うものでした。

その流れで、抑えきれなくなった積年の思いを、メールにすべて書き切りました。言うにも憚られた何十年も自分の胸にしまってきたことも全部、です。

しかし結論から言うと、母は、電話で「悪いと思ってるわよ!」とは言いましたが、「ごめんね」とは決して言いませんでした。意図的に促してみましたが、断固として言いませんでしたね。

「悪いと思ってる」と「ごめんね」は似て非なるもの。

それは母の中にある(と本人が主張している)感情であって、「私に向けた」謝罪の言葉ではありません。彼女は典型的な「罪悪感を感じると自分が苦しいから完全に抑圧しているタイプ」というのがここで見て取れますね。

この体験で、家族であっても「謝れない人」はいるのだと痛感しました。
そして私はそこでスッパリと、「私の母とはこういう人なのだ」と、未練なく諦めがついたのです。

でも、私は母に謝って欲しかった訳でも、母親らしい優しい言葉を掛けてもらいたかった訳でもないのです。今更何を彼女に期待していたわけでもないのですが、その断固として謝罪はしないという様を見て、「親子といえど、この人は分かり合おうとする姿勢も余裕もないのだな」と薄々感じてはいたけど怖くて今まで触れずにいたことが、やっとはっきりしたのです。

今、母は近くに住んではいますが、ほとんどの時間、思い出したり意識することはありません。
そして、母に対して、「彼女もひとりの女性であり、人間だったんだよね…」という美しい感慨に耽ることもないくらい、意識の彼方の存在です。

ですがこれは心理的決別なので、親子の縁を切りました、ということでもないのです。

母は高齢ですが、面倒を見るとかいう気負いもなく、まあ、自分の気が向けばそういうこともあるかもしれないし、そうでないかもしれないし、その時の状況や自分の気分の赴くまま・・・という、いたって気楽な感じです。
だって他の家族や兄弟もいますからね。その時になってみないと何もわかりませんし。

この状態、冷たいと思いましたか?寂しいと思いましたか?
それともサッパリしていていいな、と思いましたか?

でも、私にとってはもう、そこに何の感情も乗らないくらい、消化しきっているのです。(もちろん「対決」だけではなく自己セラピーで母に対する感情を癒し続けました)

これが、私と母の関係です。

回復の形は人それぞれ

大切なのは「自分がどんな納得の仕方をすれば、楽に生きられるか」ということ。

親と仲良くできる人もいるし、できない人もいる。
感謝できる人もいるし、距離を置いた方が平和な人もいる。

突き詰めれば、親子と言えど結局は「対人間」で、「相性」が存在するわけです。親子だから、そこに強い期待が生まれるのは当然ですが、相性の良し悪しがあり、感謝や和解に至らなくても自分自身を責める必要はありません。

どれも間違いではなく、全部「その人の答え」なのです。

さいごに・・・「あなたの納得でいい」

アダルトチルドレンからの回復は、まずは「自認」と「毒出し」から始まります。
その後は、それぞれが自分なりの形で親との関係に折り合いをつけていきます。

私の場合は「心理的決別」でした。
和解を選んだ人の物語もあれば、私のように距離を置くことで自由になれる人もいます。

大事なのは「あなた自身の納得」です。
あなたのオリジナルの答えでいいのです。

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ここまで読んでくださった毒親育ちのアダルトチルドレンの皆様、何か違和感ありましたか?私のAC体験談を知りたいですか?

完全にそこを癒してしまうと「一つ一つの出来事に感情が乗らなくなって」「あまり思い出さない」し、自分の体験をあえて人に語りたいほどの熱もなくなるのです。でもその体験は確かに存在しているし、間違いなく私を構成している一部なのです。否定せず、確かにそこに存在しています。
・・・癒し切ってしまうと、こんな状態になります。

「自分のオリジナルの答えでいい」と思えない、毒親にこだわりがある、怒りが収まらない、苦しさを吐き出してもスッキリしない・・・という方はご相談くださいね。

「苦しかったね、悲しかったね」と自分に優しい言葉をかけることは大切な一歩です。ただ、幼少期から積み上げられた感情パターンは、意識レベルだけではなかなか届かない深さに刻まれていることもあります。

身体や潜在意識の深い部分に刻み込まれた反応を、心理セラピーと、セッションの中だけでお伝えする本物の自己受容で解除する、シンプルステップの【感情OS解放プログラム】を提供しています。

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