プロフィール

はじめまして ^^

心理カウンセラーのメイです。

私は、毒親育ちのAC(アダルトチルドレン)、刺激に敏感なHSP、受動型ASDのパートナーがいるカサンドラ症候群の方に向けて、心の自己治癒力を高める【魔法の自己受容レッスン】を提供しています。

この活動に至るまでに、機能不全家庭・いじめ・パワハラ・うつ病・離婚問題 等・・・様々な挫折や葛藤を経験してきました。

同じ悩みを抱える方に、「私のように自己探求に何十年も費やすことなく、ラクになる最短ルートをお伝えして、1度きりの人生を充実させて欲しい!」と考えています。

もしご興味がある方は、私がどのような経緯をたどってラクに生きられるようになったのかを記してありますので、下記の詳細なプロフィールをご覧いただけますと幸いです。

両親は不仲で子供らしく甘えられず、家庭に居場所がなく寂しかった幼少期

東京都出身、家族構成は父、母、兄、祖父。

年子の兄の世話と祖父の介護に忙しい母にとっては、私は泣かないしわがままも言わない手のかからない“いい子”でした。

今考えると、生まれた時からすでに場や人のエネルギー読むエンパス体質を発揮していたのではないかと思います。

母は言葉で相手に気持ちを伝えるということしない人でした。

不満な時はだんまりと無視、もしくは言葉を発する代わりに、表情と全身から醸し出す空気感で怒りと嫌悪感を表していました。

こんな母だったので、余計に私の人の顔色を読むセンサーに磨きがかかっていったのだと思います。

両親は不仲で家庭内に自分の居場所はありませんでした。

幼少期からずっと無口で怒りっぽい父の顔色をうかがい、母の不満や愚痴の聞き役になっていて、自分の感情を表現し受け入れてもらうという経験ができませんでした。

教師からのいじめ、心を許せる友達もなく、傷つかないように感情を麻痺させていた学生時代

学生時代は既に自分の感情を抑圧し麻痺させていたので、無自覚に他人に合わせてばかり

集団の中にいるのが苦手で、人目にさらされると緊張で思うように動けなくなりました。

そのため、小学校の時には複数の教師からいじめられ、音楽で歌を歌えば「もっと口を開けろ」と口に手を突っ込まれたり、元気で積極的な生徒と何かと比較され、「やる気のないダメなやつ」と他の生徒の前で暴言を吐かれていました。

集団が苦手なのに一人になるのを極端に恐れ、好きでもない友達やグループに必死にしがみついていました。

そのため、クラスメイトからの直接的ないじめはありませんでしたが、グループ内で変なあだ名を付けられたり、その子たちのストレスの捌け口みたいな扱いだったと思います。

そんな状態でもなんとかやって来られたのは、やはり感情をを凍り付かせ自ら鈍感になっていたからだと、それ尽きると思います。

母とは一心同体 何も言わない母の意図を汲み取って、代わりに父と喧嘩した

高校も大学も言われるがまま、母が決めた学校に行きました。

両親の不仲は相変わらずで、そんな中、当然のごとく父は外に別の女性を作っていました。

不倫相手から父に贈られたラブレターを見せながら、私にいつも通り延々と愚痴と泣き言をいう母。

最終的には、私が父に不満をぶちまけて、喧嘩をしかけて父を家から追い出すという状況に。

その後両親は離婚。

無言の母の望みを読みとって、私が実行に移す。

私はまるで母にテレパシーを使って操られる、操り人形のようでした。

雑誌に載って喜ぶ私に「あんた、自分のことなんだと思ってんの?!」と吐き捨てる母、ショックで凍り付く私

そんなある日、幼いころから散々父親への不満や悪口を垂れ流してきた母親が、私に「あんたはお父さんに感謝がない」と言ってきました。

この言葉を聞いた時、私は耳を疑いました。

「お母さんは自分が私にお父さんの愚痴を垂れ流してきた自覚がないんだ」と。

この時にやっと母に対する違和感が芽生え始めます。

それからしばらくして、大学生の時、街角で写真を撮られファッション雑誌に載ったことがありました。

今まで自分に自信がなく、目立たないよう息を潜めて生きて来た私にとっては、初めて誰かに自分を認めてもらった気がしました。

素直に嬉しかったので、母に雑誌を見せ報告しました。

すると母は、気に食わないと言わんばかりに「あんた、自分のことなんだと思ってんの?!」と吐き捨てるように言いました。

母は私に嫉妬していたのです。

私は母も当然喜んでくれるものと思っていたので、あまりにもショックで身体が凍り付きました。

これが決定打になり、自分の親は毒親だったことに気付いたのです。

無気力で転職を繰り返していた20代、そして全く感情が揺れない不思議な夫との出会い

20代はやりたいこともなく無気力で、短期間で職を転々としていました。

人間関係も上手くいかず、仲良くなったと思ったら相手に都合よく利用され振り回されるような関係でした。

正確に言うと、自分から振り回されに行っていたのです。

他人を優先することしか、人と付き合う方法を知らなかったのですから。

母との関係を外でも人を変えて延々と繰り返していました。

30代は就職したものの、相変わらず職場の人間関係に苦労しており、上司から目の敵にされたり、敏感な気質のせいで周りが気になり疲れやすく、仕事にも集中できずミスばかり。

そんな中、ある時知人の紹介で夫と出会いました。

夫は穏やかで優しくて、気分の波がない、不思議なくらい落ち着いた人でした。

敏感な気質の私にとっては、感情の揺れがないので、一緒にいてとても楽だったのです。

この出会いは、人生が上手く行かず悩んでいた当時の私にとっては「神様の贈り物」だと本気で感じていました。

結婚で暗い人生に一筋の光が差したのも束の間、出産の失敗で子供は障害児になり自分を責める毎日

30代後半、結婚・出産。

“神様の贈り物”である夫と結婚して、幸せを感じていたのも束の間、分娩時のトラブルで子供が障害を負ってしまいます。

NICUで生死をさまよう子供に母乳を届けるため、出産後すぐに病院通いの日々が始まりました。

病院とは賠償問題で話し合いを持つも、法律上、訴訟はできないことがわかります。子供の回復を祈りつつも、やり場のない怒りにただただ自分を責めるしかありませんでした。

 40代はパートと家事、子供のリハビリや療育で忙殺される日々が続きました。

小学校に入ると今度は学校のママ友関係に悩まされます。当時は小さな田舎町にいたので、人間関係も濃密でかなり陰湿なところがありました。

子供が通う特別支援学級の中では、障害の重い軽い、身体・知的障害のあるなしでマウントを取るような母親が何人もいて、同じ障害児を持つ親として助け合い・分かり合えるという幻想はここで木っ端みじんに打ち砕かれます。

夫婦で次々にパワハラに遭い退職・・・収入が無くなり、後先考えない夫に対する激しい怒り、長年の夫への違和感の原因は受動型ASDだった

5年以上務めたパートは、転勤してきた上司からデータ改ざんなどの陰湿ないじめやパワハラをうけ、労働局にまで持ち込みましたが会社は非を認めず退職。

朝ベッドから起き上がることができず、うつ病と診断され、そのまま療養生活に入りました。

 そんな中、次は夫が転勤先の職場でパワハラに遭い、相談もなく発作的に会社を退職してしまいました。安定した収入がなくなり、揉めている内に夫の言動から受動型のASDの疑いがあることがわかりました。

子供も様々な重複した障害を抱えているので、私は発達障害の知識もある方だとは思っていました。

しかし、ASDといえば尊大型のイメージしかなかったので、受動型を見つけたときは、長年の違和感の理由がわかり、驚きと共にどこかホッとしたのを覚えています。

夫に関しては、婚約直後からその本質を現わしていたので、夫婦としてどう協力してやっていくか折に触れ話し合いを持ってきました。

しかし、ロボットのように従順な反面、話しても話しても会話がかみ合わなかったり依存的な面(これだけではありませんが)に変化はありませんでした。

まるで反応のない壁に向かって、一人でヒステリーを起こして怒り狂っているような状況に、私はたびたび自己嫌悪に陥っていました。

夫とはパートナーではなく、もう一人の障害のある子どもを抱えているようでした。

家庭運営の全てをこなし、重要な決定事項も自分一人で考え、判断しなければならず、私が判断を誤るとフォローしてくれる人もいない。

その責任の重さと緊張感に疲れ果てていました。

それでも夫は真面目に働いてくれてはいたので、それで十分なんだと無理やり自分を納得させていました。

目立った暴力や暴言があるわけではなく、この真綿でジリジリと首を締められるような何とも説明し難い苦しさは、受動型ASDの人をパートナーに持つ方なら理解していただけるのではないでしょうか。

突然の離婚問題にどうすればいいのかわからず、不安と絶望で生きるのが辛い毎日

夫の突然の会社退職後、夫自身は適応障害と診断されました。

その責任は私にあると夫側の親族から責められ、自分でコツコツと貯めた預金も夫側の親兄弟に取り上げられるなどの大騒動になり、夫と別居。

状況的に弁護士に相談してもらちが明かず、現状を甘んじて受け入れるしかありません。

頼る家族もないので、障害がある子供と2人暮らしになりました。

若くない上にお金も仕事もなく障害児を抱え、なんの準備もなく突然降ってわいた離婚問題。

不安で生きるのが辛い毎日。うつ病も悪化し、体重も7キロ減りました。

失敗ばかりの人生を自分で選択していた衝撃の理由、「お母さんに愛されたかった」

そんな先の見えないある朝、なんとか子供を登校させて、いつも通りベッドの中で天井を眺めながら、絶望の中で自分を責めたり、自己憐憫に浸っていました。

「出産も結婚も失敗。私の人生失敗ばかりだな・・・」

思い返すと、大きなライフイベントはことごとく何かアクシデントが起こり上手くいかない。そして、ここであることに気付きます。

「でもそれって、母が絡んでいたときだけかも?」

結婚して物理的に母と離れた後は、お宮参りや七五三、運動会等に母が来た時だけ、トラブルが起こることに気付きました。

会食する店がダブルブッキング、レンタル着物の手配時間のミス、座席がいっぱいで座るところがない学校行事・・・憮然とする母を横目に、私はまた心の中で、「いつも失敗するダメな私」と自己嫌悪に陥っていました。

しかし、失敗ばかりの人生の理由は「母の呪縛」だったのです。

「失敗してお母さんと同じ不幸で可哀そうな私でいれば、お母さんは優しくてくれる」

母親の嫉妬を無意識に感じていた私は

「私が幸せになるとお母さんがかわいそう、お母さんの機嫌が悪くなる」

そう思っていたのです。

このことに気付いた時は背筋が寒くなりました。

思考の上では、このことはスッと腹に落ちました。それでもまだ長年我慢して抑え込んできた感情面は納得していませんでした。

母や夫、夫の親族に対する怒りと恨みが溢れ出てきて、自分ではコントロールできないくらい暴れています。

「このままでは自分も子供も共倒れになってしまう。」

抑えきれない感情の整理をつけるために、重い身体を起こして、思い切ってカウンセリングを受けることに決めました。

カウンセラーさんは人生で一番辛かった時期を一緒に伴走してくれ、流した涙と共に我慢していた感情が浄化されていった

カウンセリングではゆっくりと話を受け止めてもらう中で、今まで起こったことに対する感情の整理をしていきました。

そしてどんな自分もOKにする自己受容の重要性を学び、目の前の現実に感情が揺れるたびにカウンセラーさんのサポートを受けながら一つ一つ丁寧に自分と向き合いました。

そのうちに、だんだんと自分の中で複雑に絡みあって手に負えなくなっていた問題もスルスルと解けてシンプルになって行きました。

問題を複雑にしていたのは、夫でも周りの家族でもなく、私自身だったんだ・・・!」と気づき、カウンセリングも回を重ねるごとに心身の安定を取り戻し、徐々に生きる気力も回復していきました。

楽に生きるためには、トラウマの解消だけでは不十分だった

何十年も生きづらさの原因を探るために自分と向き合ってきました。

心理学や様々な心理療法を学び、自らもクライアントとしてカウンセリング・セラピーを受けてきました。

時には現実逃避のようにスピリチュアルや占いに傾倒したこともありました(今もスピも占いも大好きですが・・)。

その中で、深いトラウマを癒す素晴らしいセッションを何度か経験しました。

そこで大きなトラウマは解消されて、その場面すら思い出せなくなりました。

それはそれで楽にはなったのですが、期待していたようなキラキラした毎日はそこにはありませんでした。

相変わらず目の前の現実に感情をくっつけて、振り回されている自分がいます。

今回、自分の人生をもう一度見つめなおさざるを得ないような大きな出来事が起こり、長年にわたって形成された思考や感情の癖は、トラウマの解消だけでは変わらないことを痛感しました。

トラウマ解消の後に必要なことは・・

『人間は感情の生き物』と言われています。(デール・カーネギー著書より)

トラウマを解消したとしても、感情がなくなるわけではありません。

そのためトラウマを解消した後は、湧いてきた感情の扱い方を学び、自己受容していく必要があります

その方法を知らないと、目の前で起きた現象にいちいち反応し、感情に巻き込まれ、グルグル思考に陥りやすくなります。

考えても考えても見つからない答えを求めて、何時間も(酷い時は何日も、何週間も)思考を反芻(はんすう)することになります。

すなわち、感情によって生まれた思考に囚われる”こと、これが苦しみの原因となります。

自分の経験を活かして、クライアントさんと誠実に向き合いサポートしていきたい

この経験を活かして、過去の私のように毒親に悩むAC(アダルトチルドレン)、刺激に敏感なHSP、受動型ASDのパートナーがいるカサンドラ症候群の方に向けて、心の自己治癒力を高めるカウンセリング・セラピーを提供しています。

スピリチュアルや占い、自分以外の何かに依存しない、【魔法の自己受容レッスン】を通して、新たな思考と感情のパターンを築いていくためのプロセスをサポートします。

カウンセラーとしての私の原点として、エンパス体質であることは、クライアントさんの感情や意識状態を敏感に察知できることが強みです。

しかし、共感力が高い一方で、時々自分の感情のバランスを保つことが難しいと感じることもあります。

それでも、「クライアントさんと誠実に向き合い、共に前進していきたい!」そんな思いからこの活動をしています。              

私の経験が、“あなたらしく”ラクに生きることを望んでいる方のお役に立てば・・・と思っています ^^

【お試しカウンセリング】が、あなたがラクな人生を歩む第一歩となりますように・・・♡